パーティーに行ってきました!◎◎◎ ポッチャリーズ ◎◎◎

2013年03月06日

街道からゆく 33 −桜田門−

ベンチャーサポート税理士法人川辺です。

警視庁の正面に位置する皇居・桜田門。
安政7(1860)年3月3日、この門前で当時の日本を震撼させる一大テロ事件が発生しました。

時の最高権力者・井伊直弼が、水戸・薩摩の浪士からなる僅か18名の小集団の襲撃に斃れるという前代未聞のハプニングは、軍事政権であるはずの江戸幕府にとってあるまじき不祥事であり、その権威を根底から覆すに足るインパクトを備えていました。

現にそれまで諸藩の人士から“大公儀”“大樹”と称され、その名を直接口にするのも憚られていた時の政府とその主宰者が、この日を境に単なる“幕府”“将軍”と呼び捨てられるようになったことは、その事実を裏付けるに十分なものでした。

その後、倒幕、そして新政権樹立へと向かう時代の奔流は一気に加速し、事件から7年後には明治維新の黎明を迎えることになります。

ところで、幕末・維新期はもとより、我が国の歴史を代表する偉人のほとんどが、テロや暗殺に否定的なスタンスをとっているのは、あるいは誇るべき特長なのかもしれません。

しかし、その根拠は、倫理や道徳観に基づくものよりも、むしろ「テロの標的が時代の要請によって歴史の表舞台に登場した人物である場合、彼を斃したところで、必ず代わりの人物が現れるはず。」という運命論的なものに軸足を置いているような気がします。

多くの場合、その考え方に誤りはないのですが、時にテロが歴史の大きな扉をこじ開ける、もしくは導火線に火種を点じる契機になることがあります。

今回採り上げた桜田門外の変こそは数少ない好例の一つで、決して、テロ=野蛮 vs 反テロ=文明、などという単純な図式で評価できるものではありません。

日本史上、最も評価の難しいテロの舞台となった桜田門外と、首都の治安を司る警視庁(=通称:桜田門)が対峙する位置関係にあるのは、底意地の悪い歴史のアイロニーであると同時に、そうした浅薄な価値観に警鐘を鳴らすメッセージが込められているのかもしれない。

警視庁の前に立ち、この絶妙な位置取りを目の当たりにすれば、そう勘繰らずにはいられない気持ちが湧き起こってきます。


大阪の税理士・会社設立支援の ベンチャーサポート 税理士法人 へ

東京・渋谷の税理士・会社設立支援の ベンチャーサポート 税理士法人 へ

横浜の税理士・会社設立支援の ベンチャーサポート 税理士法人 へ

福岡の税理士・会社設立支援の ベンチャーサポート 税理士法人 へ

gunner504 at 15:02│TrackBack(0) 川辺 

トラックバックURL

パーティーに行ってきました!◎◎◎ ポッチャリーズ ◎◎◎